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2007年5月24日 (木)
脚本家の秘かな愉しみ
加藤監督が沈黙を続けているので割り込みます。
『見通しの良い道』の脚本を書いた和田清人です。
脚本というのは、ある意味でとても自虐的な作業かも知れません。いくら脚本段階で具体的なイメージを持っていたとしても、実際に立ち現れてくる映画がそれと一致することは決してないからです。ロケーション、天候、ときにはキャスト/スタッフの心理状態まで、映画は残酷に映し出します。
今回の作品は、柳ユーレイさん、つぐみさん、菅田俊さんをはじめ、素晴らしいキャストに恵まれました。彼らの身体/声を通して、僕の想像していたよりもずっとスリリングな映画が生まれました。脚本家にとって、これほど嬉しいことはありません。もちろん、スタッフの力も大きかった。夜の屋外シーンばかり書いたせいで、ずいぶん現場に負担をかけてしまったと思います。多くの人の力によって、映画が脚本を踏み越えていくことの愉しみを、僕はこの映画で発見しました。
少しだけ『見通しの良い道』の発端の話をします。
原作ベースで一度書いたものが企画として実現不可能になり、僕と監督の大門さんは途方に暮れました。その時、大門さんが「同じ言葉を言っているのに、まったく意味が変わってしまうような作品にしたい」と言いました。ふとテレビのニュースで耳にする交通事故の常套句を思い出しました。「現場は見通しの良い片側2車線の道路で、云々」。ああ、これは使えるかも知れない。そんなちょっとしたきっかけから、脚本があっという間にできました。日常的な報道の中から、非日常的なジャンルの映画が出来上がったというのも、いま思えば妙な話です。
僕と監督の会話の中で、フェリーニの『悪魔の首飾り』をはじめとするいくつかの映画の固有名詞があがりました。実際に『見通しの良い道』には様々なリファランスがあると思います。僕らが映画を作るとき、映画史をまったく無視することはできません。過去の作品に触発され、かつ束縛されながら、反発すること。それは、いま映画をつくる後発世代の宿命だと思います。僕たちが役者さんの力を借りて、どれだけジャンル映画の枠組みの中で闘えたか。ひとりでも多くの方にスクリーンで目撃していただければ幸いです。
長くなりましたが、今度こそ加藤監督にお願いします。
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